1949年7月6日初代国鉄総裁、下山定則氏が常磐線綾瀬駅付近で轢死体となって発見された怪事件。それが下山事件である。
総裁は5日朝、三越本店に入ったまま行方不明になっていた。
5日は国鉄当局がGHQの命令で人員整理(9万5000人の首きり)案をだす予定であったことから、政府は「他殺と推定される」といい、暗にストライキを画策している労組や労組に強い影響力を持っていた共産党を牽制するとともに、これらの組織が関与しているよう匂わせる。
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総裁は5日朝、三越本店に入ったまま行方不明になっていた。
5日は国鉄当局がGHQの命令で人員整理(9万5000人の首きり)案をだす予定であったことから、政府は「他殺と推定される」といい、暗にストライキを画策している労組や労組に強い影響力を持っていた共産党を牽制するとともに、これらの組織が関与しているよう匂わせる。
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