アメリカには、第二次世界大戦前から1人の爆弾魔に悩まされてきたという歴史がある。

その名は、ジョージ・メテスキー。通称マッド・ボンバーだ。

事の発端は、1940年11月16日。

ニューヨークにある、コンソリディッド・エジソン社に稚拙な爆弾が届けられたことから始まった。


これは不発弾だったが、どうもこれは敢えて不発にしていたようだ。同封の手紙があったことがそれを裏付けている。

手紙には「コン・エジソンの社畜・悪党へ送る」と書かれていた。

脅迫の手紙は、度々コン・エジソン社に送られたが、戦争が始まるとそれも一時的に収まった。

だが、終戦後の1950年3月19日。

グランドセントラル・ターミナルでマッド・ボンバーによる爆弾事件は再開された。

小規模だが、今回は確かに爆発した。

これ以降、一切不発に終わった事例はない。

マッド・ボンバーは、今まで隠していた才能を一気に世間に知らしめたのである。

1957年までの間に、31件もの爆破事件を起こした彼は、時には大勢の負傷者や死者、重体の市民を生んではまた次の犯行に及んでいたという。

警察は、プロファイリングによってマッド・ボンバーの犯人像を探り、そして1957年の1月21日、とうとうジョージの元に辿り着いたのである。

犯行のきっかけは、コン・エジソン社に勤めていたジョージが結核を患ったものの、労災認定されなかったことにあるという。

しかし、犯行を重ねるうちに純粋に爆弾事件を引き起こすこと自体に喜びを感じるようになっていたことは明白であった。