1914年。アメリカに来なくてもいい人物がやって来てしまった。
フレデリック・モースというこの男が、どうしてアメリカにやって来たのかは分からない。
モースは早速職を探すことにして、首尾よくブロンクスの介護施設に雑用係として雇用されることとなった。
しかし、この男は言って頭のネジが7、8本外れていた。
なぜか自前で白衣と聴診器を購入し、これを身につけて施設内を行き来していたのだ。
しかし、一応雑用はする。職員らにとって、彼はいい物笑いの種であったことだろう。
モースは入所者に「ドクター」と呼ぶことを強制していたというから筋金入りだ。
これで済めばまだよかったのだが、やはり狂人を介護施設に入れてるとろくなことがない。
破竹の勢いで入所者が死にはじめたのだ。
1914年の9月から1915年の1月までの間に、17人もの死者が出たのである。これはもう只事ではない。
職員達はモースを当然のように疑い、警察に引き渡した。
取調べでは、モースは実にあっさりと入所者の殺害を認めたという。
理由は自己中心的なものばかり。
肝心の殺害方法はクロロホルムを用いたものであった。
これを含ませた脱脂綿で気を失わせ、その後、喉や肛門にその脱脂綿を詰めることで死に至らしめていたのである。
残念ながらこの狂人に死刑は適用されなかった。
精神病院に追いやられたモースは、ほどなくして脱走。
恐ろしいことにそのまま行方不明のままなのだ。
フレデリック・モースというこの男が、どうしてアメリカにやって来たのかは分からない。
モースは早速職を探すことにして、首尾よくブロンクスの介護施設に雑用係として雇用されることとなった。
しかし、この男は言って頭のネジが7、8本外れていた。
なぜか自前で白衣と聴診器を購入し、これを身につけて施設内を行き来していたのだ。
しかし、一応雑用はする。職員らにとって、彼はいい物笑いの種であったことだろう。
モースは入所者に「ドクター」と呼ぶことを強制していたというから筋金入りだ。
これで済めばまだよかったのだが、やはり狂人を介護施設に入れてるとろくなことがない。
破竹の勢いで入所者が死にはじめたのだ。
1914年の9月から1915年の1月までの間に、17人もの死者が出たのである。これはもう只事ではない。
職員達はモースを当然のように疑い、警察に引き渡した。
取調べでは、モースは実にあっさりと入所者の殺害を認めたという。
理由は自己中心的なものばかり。
肝心の殺害方法はクロロホルムを用いたものであった。
これを含ませた脱脂綿で気を失わせ、その後、喉や肛門にその脱脂綿を詰めることで死に至らしめていたのである。
残念ながらこの狂人に死刑は適用されなかった。
精神病院に追いやられたモースは、ほどなくして脱走。
恐ろしいことにそのまま行方不明のままなのだ。
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