1972年、とある男に死刑が言い渡された。男の名はチャールズ・マンソン。罪状は「殺人罪」であった。

しかし、チャールズ・マンソンはただの一人も自ら手を下していなかった。彼は、「マンソン・ファミリー」というカルト集団の指導者であり、信者に殺人を教唆していたのである。

売春婦の息子として生まれたマンソンは、母親に見捨てられ、孤児院に入れられた。


複雑な環境で育ったため、社会に適応できず、犯罪を繰り返し、人生の大半を刑務所で過ごしたという。

1967年に釈放されたマンソンは、家出少女を集めて「ファミリー」を形成した。

彼は、少女たちにLSDを与え、次々と洗脳していった。

こうして、「ファミリー」を増やしたマンソンは、自らが計画した犯罪をメンバーに実行させていったのである。

犠牲者の中には、当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートも含まれている。

また、マンソンは音楽家としてもよく知られている。マンソン自身がいくつもの歌を作曲しており、1967年に「LIE」というアルバムも発表されている。

これらの楽曲は、アメリカン・ポップ・カルチャーのひとつの象徴として、何人ものアーティストにカバーされており、その後の音楽シーンへの影響も大きかったという。

アメリカのミュージシャン、マリリン・マンソンは、マンソンという名前を「悪のシンボル」として自らにつけたというのは、有名な話である。

ただの犯罪者にすぎないマンソンが、現在でもこれほどの影響力を持っているということは脅威である。

彼は、普通の人間には計り知れない「悪のカリスマ」を持っていたのかもしれない。

なお、マンソンはその後、終身刑に減刑されており、現在も服役中である。