1980年5月5日、当時7歳だったアンナ・バハマイヤーは突如として行方不明になった。

警察の捜査の結果、少女強姦の常習犯クラウス・グラボウスキーが近所に住んでいることが明らかとなり、犯行を認めたため逮捕となった。

アンナはすでに殺害されており、遺体は町外れに埋められていたという。

この事件の裁判は、グラボウスキー有利に進んだ。グラボウスキーがアンナにゆすられたため、仕方なく殺害したという主張が認められたのである。


グラボウスキーには軽い刑が科せられるだろうと、誰もが思った頃、さらなる事件は起こった。

裁判中、ひとりの女性がグラボウスキーに近づき、いきなり銃を発砲した。グラボウスキーは即死。撃ったのは、アンナの母であるマリアンネ・バハマイヤーだった。

当時、世間はマリアンネに同情的だったという。自分の娘を殺害された上、その犯人が軽い刑で済まされたのでは、許せなくて当然だろう、と。

そして、マリアンネの半生が報道されると、その流れはさらに加速した。

マリアンネは、アンナの前に2人子供を産んでいるが、いずれも強姦されてできた子供だった。

その上、ひとりは里子に出し、もうひとりは孤児院に入れるはめになっていたのである。

アンナが生まれたときにマリアンネは「この子だけは絶対に手放すまい」と誓ったという。

そのアンナも殺されてしまったのだから、彼女の悲しみは筆舌に尽くしがたいものだったろう。

マリアンネは、情状酌量され懲役6年の刑に留まり、結局3年で釈放となったという。