1872年12月5日、イギリス船デイ・グラチア号は、ポルトガルとアゾレス諸島の間の大西洋を漂流する二本マストのアメリカ船を発見した。

事故の発生を予感したグラチア号はアメリカ船に近づき、船を横付けにした。
声をかけてみたが、返事はない。そこで船長以下、数人の乗組員が乗り込んで中の様子を確認することにした。


奇妙な光景

船の中はしんとして、誰もいなかった。海賊に襲われたのか?伝染病で乗組員全員が死亡したのか?では、死体はどこに?
理解できない事態に、船長たちの思考は混乱した。しかし奇妙なのはそれだけではなかった。

・アメリカ船の船長のテーブルにあった食事は食べかけのままで温かい
・コーヒーは、まだ湯気を立てている
・調理室では、火にかけたまま鍋が煮立っている
・船員の部屋には食べかけのチキンと、シチューが残っている
・洗面所にはさっきまでヒゲを剃っていたような形跡がある
・救命ボートは全部残っており、綱をほどいた形跡もない
・船の倉庫には、まだたくさんの食料や飲み水が残っている
・積荷も置かれたままで、盗難にあった様子はない
・ある船員の部屋には血のついたナイフが置いてある
・船長の航海日誌には「12月4日、我が妻マリーが」と走り書きが残っていた

一体この船で何が起きたんだ?捜索する船長たちの混乱は極限に達した。


メアリー・セレスト号の乗組員はどこへ?

漂流中を発見された船の名前はメアリー・セレスト号。発見される1ヵ月前の1872年11月5日、原料アルコールを積んで、ニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港した。
この船に乗っていたのは、ベンジャミン・ブリッグス船長以下乗組員8名、そして船長の妻マリーと娘のソフィアの総勢11名であった。
そのわずか1ヵ月後、一体この船に何が起こったのだろうか?メアリー・セレスト号の乗組員が、どこへ消えたのか?事故なのか?事件なのか?
メアリー・セレスト号の話題は、奇妙で怪奇な事件の装いをまとって世間に流布されることになった。

海事法廷

メアリー・セレスト号発見から6日後の12月11日、デイ・グラチア号はメアリー・セレスト号を牽引してジブラルタルに入港。海事法廷が開かれた。そこでは新たな事実が証言された。

・船内に人影はなく、甲板の床は水浸しだった
・帆やハッチは吹き飛ばされてなくなっていた
・船の航海能力は、まだ十分に残っているようだった
・貯蔵庫にはまだ食料と水が十分残っていた
・船員の私物はそのままだった
・救命ボートはなくなっていた
・航海日誌を見ると、最後の日付は11月25日だった。
つまりメアリー・セレスト号が無人となったあと発見されるまで10日間も漂流していたということになる。

前代未聞の怪事件に海事法廷は揉めに揉めた。イギリス側は船長室で見つかった血に汚れた剣を証拠に「酒に酔った乗組員が船長とその家族を殺害し、救命ボートで逃走した」と主張。

アメリカ側は「メアリー・セレスト号の積み荷の原料アルコールは飲んだりしたら、失明する恐れがあり、乗組員なら誰でも知っていた。反乱を起こして逃げたのなら、私物を何もかも放り出したまま逃げるのは理解できない」と主張した。

結局1873年3月、海事法廷はこの事件を原因不明の海難事故とした。

11年目の新たな展開

メアリー・セレスト号は海難事故とされてから11年目の1884年、イギリス人医師ドイルが、短編小説、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』を発表したのをきっかけに、メアリー・セレスト号は再び注目を集め、様々な説が飛び交うようになった。

・乗務員反乱説
・全員が海に投げ出された全員事故死説
・金塊を積んだ漂流船を発見した船長が、自分の船を捨てたという船長欲ボケ説
・巨大イカが船を襲った怪魚説
・生きたカエルや魚を降らせるファフロッキーズ現象に乗組員がさらわれたという超自然現象説

皮肉にも、事件か事故かを曖昧なままに幕引きをした法廷が、これら様々な説を許容したといえる。

真相は「船長の勘違い」?

これら諸説の中で、もっとも信憑性があると考えられたのは「航海中に嵐にあった」という説である。

嵐で積み荷のアルコールの入った樽が激しく揺さぶられ、樽の中に発生した気体の圧力で樽のフタと船倉のハッチが吹き飛ばされた。
船長は、アルコールによって船もろとも爆発する危険があると知識不足から勘違いし、全員に救命ボートに避難するよう指示したものの、船と救命ボートをロープで繋いでおくのを忘れてしまった。

その後、救命ボートと船の距離はどんどん離れていき、救命ボートで漂流しながら助けを待っていたが、船は一隻も通らず、再び嵐が起きてボートは海に飲み込まれ、全員あえなく海中に沈んでいった…。
そして無人の船だけが10日間漂流し、イギリス船デイ・グラチア号に発見される。奇妙な謎を抱えたまま、真相は海の藻屑となったのだろうか?