その少年の遺体は、全裸で段ボール箱の中に入った状態で発見された。

ボーイ・イン・ザ・ボックス(Boy in the Box)と呼ばれる事件は、1957年2月25日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州北東部にある地区で起きた。
被害者はおよそ4~6歳の少年だった。

第一発見者の素性

身元不明のこの遺体は百貨店で販売されたゆりかごの段ボールの空き箱内に、毛布に包まれた状態で遺棄されていた。
遺体を発見した男性は、発見現場付近にマスクラット捕獲用の罠を仕掛けていたと述べた。
しかし本当は、彼の習慣になっていた近くの女学校の生徒たちへののぞきをおこなっているところで発見したものだった。

2つの仮説

この事件の解決について多くの仮説が主張されてきた。大半の仮説は否定されたが、次の2つの説は有力なものとして警察による大規模な捜査が行われた。

第1の仮説は、未婚の母による死体遺棄説。
事件を調査していた監察医務院の男性職員がニュージャージー州に住むある女性霊能者に接触し、
霊能者はその男性職員に、探すべき家の特徴を伝えた。
男性職員は、その家の特徴が合致するのは、遺体発見現場から2.4km程離れた場所にあった児童養育施設であると考えた。
彼は客を装って施設を訪問した際、そこにゆりかごや、少年の遺体を包んでいたものに似た毛布が干されているのも発見した。
男性職員は、少年がその養育施設を経営していた男性の継娘の子であると信じるようになった。
1957年当時、未婚の母であることは不名誉であり、男性職員は、少年の死は事故であり、遺体を遺棄したのは、継娘が未婚の母であることが露見するのを避けるためであると推理した。

第2の仮説は、虐待説。
キャサリン(仮名)という女性が警察に証言した。
「少年の名はジョナサンよ。そして殺害したのは私の母なの」
キャサリンの母は虐待癖があり、キャサリン自身も虐待をされていた。 そしてキャサリンの母は、被害者の少年を、生みの両親から虐待目的のために買った。 キャサリンの母は、少年に2年半もの間、極度の身体的、性的な虐待を受け続けた。 少年が殺害されたのは、彼が浴槽で嘔吐したため、母親が怒りに任せて彼を床に叩きつけたためという。 キャサリンの母親はその後、少年の身元を隠すために彼の長い頭髪を刈った。 キャサリンと母親は、人里離れていた遺体発見現場に少年を遺棄した。 彼女らが遺体を入れた段ボール箱は、その場にもともと捨てられていたものである。 

死体遺棄する際にオートバイの男性が近づいてきて、「どうしました?事故ですか?お手伝いしますよ」と言われたが、 車のナンバープレートを隠しながら「なんでもないので、大丈夫です」とキャサリンの母親は答えた。オートバイは現場から立ち去った。

警察の見解

第一の仮説は、少年と養育施設との具体的な関連性を発見できずに否定された。
この施設の経営者だった男性と継娘に事情聴取を行ったが、一家は事件に関係していないと確認、養育施設の捜査は切り上げられた。

第二の仮説は、キャサリンの証言通り遺体には雑な散髪の跡が見受けられ、遺体に刈られた髪の毛が付着していた。
キャサリンの母親が少年の頭髪を刈ったという証言は、この散髪の跡の説明になると思われた。
また、遺体発見現場をたまたまオートバイで通りがかった男性からの目撃証言はキャサリンの証言の信憑性を高いものにした。
しかしキャサリンに精神病の病歴があることがネックとなった。
当時の彼女の家と交流があった近隣の人々は、事情聴取の際にその家に男の子が住んでいたことを否定した。

「箱の中の少年」は「America's Unknown Child」とも呼ばれ、いまだに名前も身元もわかっていない。