1959年(昭和34年)3月10日朝、都内の川で英国海外航空会社の独身スチュワーデス、M・T(27歳)が遺体で発見された。

遺体は仰向けになって、顔や手、胸部、大腿部が水面から出て浮かんでいた。
被害者はグリーンのツーピースの下に人絹ブラウス、白の人絹シュミーズ、白のブラジャー、白のコルセット、白メリヤスパンティに、足底の擦り切れたナイロン靴下をはき、コルセットの靴下吊りは靴下に止められており、服装に乱れはなかった。

M・Tは前年の12月、英国海外航空会社が旅客機航路の開始に際して、初めてスチュワーデスに採用した日本女性8人のうちの1人だった。
ロンドンの本社で現地教育を受け、翌1959年(昭和34年)2月27日に帰国したばかりで、2週間後には初搭乗する予定になっていた。

司法解剖

遺体を大学付属病院に移して解剖を行なった結果、絞殺と判明した。
膣内から「O型または非分泌型」、さらに、パンティの局部附着部分から「A型またはAB型」の、それぞれ別人の精液反応が検出された。

重要参考人は神父

捜査線上に浮かんだ人物は、ベルギー人の神父(当時38歳)だった。
戒律の厳しい宗教の神父がスチュワーデス殺しの参考人になったことで、この事件は世間の耳目集めることとなった。

神父は1948年(昭和23年)に神学生として来日し、都内のS修道会に所属。1953年(昭和28年)に司祭の資格を得た。
その後、S会の布教事業をしている都内のD社に転属。事件当時はその副社長として会計を担当していた。

S会は世界各国に教会、修道会、学校、記念事業団体をもつカトリックの一派で、イタリアに本部があり、戦後、積極的な布教活動で急速に勢力を拡大してきた宗派として知られていた。
D社はS会の社会事業団体のひとつで、本部から資金、海外援助物資、寄付などが送られ、日本での布教活動の拠点を拡大するため、これらを基金として布教のための図書の出版、販売を主な事業としていた。
神父には、以前から修道会関係の保母や看護婦と関係があったという噂があった。
遺体で発見されたM・Tはスチュワーデスになる前からカトリック信者だったこともあって、S会が経営する乳児院の看護師として住み込みで働いており、
ここで神父と知り合った。2人が原宿駅前の連れ込みホテルに入ったという事実も確認された。

また、死体が発見された3月10日の午前5時ころ、内職をして起きていた現場近くの主婦が車のエンジン音が聞こえてきたので、外に目をやると、白っぽい小型乗用車が善福寺川わきの道を走っていったと証言した。
この主婦は警察で車のカタログを見せられ、ある外国車の写真を数枚の中から取り出した。神父が所持している車と同じ車種・同じ色だった。

巧妙な取り調べが失敗

取り調べは延べ30時間に渡って行われ、その間、取調室にはコーヒー、お茶やジュースなどが運び込まれ、神父が口にした茶碗やコップに付着した唾液から血液型を割り出す手筈になっていた。
ところが、神父はひと口も飲まなかった。
トイレにも仕掛けをして、尿の採取の準備をしていたが、神父はついにトイレにも一度も立たなかった。
神父は警察の取り調べに対して、最後までM・Tとの肉体関係を否認。事件当時の完全なアリバイを主張した。
しかし肉体関係についての状況証拠は揃っていた。M・Tの男性関係は、かなり乱れていたものの、事件当時は神父以外の男性とは交際はないことが分かっていた。
しかし事情聴取はそこで中断した。神父が突然帰国してしまったからだ。

突然の帰国

6月11日午後7時半、警視庁による事情聴取がまだ終わらないうちに、ローマに転属になったという理由で、神父は突然、羽田発のヨーロッパ便で本国に帰ってしまった。

警視庁の幹部は「帰国するという連絡は受けていなかった。神父の帰国はまことに遺憾である。しかし、逮捕状が出ているわけではないので、これを止める方法がなかった」と発表した。
深い疑惑を残したまま捜査は中断。
1974年(昭和49年)3月10日、遺体が発見された日から15年。時効の日を迎えた。

事件には続きがある

しばらくして、神父は「身代わり犯人」で、M・Tは ある謀略の犠牲になって殺されたという奇怪な噂が流れ始めた。
噂の背景には、D社の性格と外国航空会社の性格、そして両者をつなぐ線であった。

D社は戦後日本の社会で、数々の経済的不正事件を起こしていた。
ララ物資やS会本部から救援物資名義で運ばれてきた各種の統制物資を横流ししたとされる事件(闇砂糖事件)の他、日本に運んできた闇ドルをレート1ドル360円を無視して400円程度で日本円に換金し、巨利を得ていたとされる事件(闇ドル事件)容疑などがあった。
神父はD社の会計主任であり、こうした事情を最もよく知る人物のひとりだった。 一方、英国航空会社の香港回りの極東空路が日本布教団の資金輸送路になっていた。
横流し事件を起こした救援物資も闇ドル事件を起こした闇ドルもこの極東空路によって運び込まれたものだった。

国際的運び屋?

M・Tは試験の合格圏に入らず、しかも年齢の枠を越えていたにもかかわらず合格した。
また、彼女のロンドンでの訓練期間中、「単独行動が多く、早朝急いで出かけることがあった」「手紙のようなものを運んでいた」「ロンドンでは何かおびえた感じがあった」といった同僚スチュワーデスの証言もあった。

以上のことから、彼女はD社とイタリアのS会本部をつなぐ空輸による密輸ルートの運び屋に仕立てられようとしたのではないかと推理された。
運び屋になることを強要されたが、それを拒否したことによって、何者かが秘密がもれるのをおそれて殺してしまったのではないか、と。

作家の松本清張はこの「スチュワーデス怪死事件」を『黒い福音』と題して週刊誌に発表。事件を推論してみせたが、すべてはすでに遅かった。