1961年(昭和36年)12月7日、日本銀行秋田支店で、廃棄処分にされる紙幣の中から偽千円札が発見された。

これ以降1963年(昭和38年)まで、22都道府県から合計343枚発見される。
警察は「チ-37号事件」と命名した。
「チ」は千円札を意味する警察のコード。「37」は37番目の千円札の偽札事件であることを意味する。

愉快犯?芸術家?

偽札はマスコミの指摘を受けるたびに、修正が加えられた。
通し番号が「WR789012T」と連続した数字で、数字の配列が右下がりになっていることが特徴として指摘されると、翌1962年春には数字が「DF904371C」となった上、数字の配列が水平になっていた。
肖像の目尻が本物より下がっていると指摘を受けるとそれも修正した。

警察は犯人の居場所を特定するために、地方紙だけに順番に情報を載せるようにしたが、
犯人はどんな小さな記事も見逃さずに改良を加えていった。犯人は、捜査陣との知恵比べを楽しんでいるかのようだった。

目撃されていた犯人

1962年9月10日、千葉県佐倉市の駄菓子屋で偽の1000円札を使用してチューインガム100円を購入。つり銭を受け取った男が目撃された。
男は年齢は35~36歳、白いハンチング帽を被り、体は小柄だがガッシリしており、顔は黒かったという。

1963年3月5日、静岡県清水市の青果店で偽の1000円札を使用して100円のミカンを購入してつり銭を受け取った男が目撃された。
年齢は30歳くらい、背丈は155センチくらい、丸顔であった。

1963年3月6日、静岡県静岡市の青果店で偽の1000円札を使用して30円の干し椎茸を購入。つり銭を受け取った男が目撃された。
年齢は30代、黒いハンチング帽を被り、黒縁メガネをかけ、丸顔であった。

懸賞金

1962年9月6日、警視庁は偽千円札を届け出た者に対して1枚につき3000円の謝礼、犯人に繋がる重要な情報を提供した者には1万円から100万円の謝礼を出すことを決定した。
銀行協会も犯人への有力情報に100万円の懸賞金を出すと発表した。
しかし、1963年11月4日に偽札が発見されたのを最後に、偽札が出てくることはなかった。

日本の偽札史上、最高の芸術品

1963年11月1日、日本銀行は貨幣の信頼維持のため、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円札を発行した。これは犯人の勝利を意味するのだろうか。
目撃証言によってモンタージュ写真が作成されて公開された。しかし、検挙には至らなかった。
そして1973年(昭和48年)11月に公訴時効が成立。迷宮入りとなった。チ-37号は「日本の偽札史上、最高の芸術品」といわれている。

漫画「三丁目の夕日」の中のエピソード

事件や警視庁の対応は当時の小学生にも知れ渡り、漫画「三丁目の夕日」でも描かれている。
また「Aさんが300円の品物を千円札で買ったところ、2700円のお釣りが返ってきた。それはなぜでしょう」という内容のクイズも流行した。
お解りだろうか?