草加次郎とは何者なのだろうか?
数々の連続爆弾物事件を巻き起こし、ついに捕まることはなかった。

差出人は草加次郎

1962年11月4日、東京・品川区にある歌手の後援事務所に届けられた郵便物の小包が突然爆発。
男性の事務員(当時23歳)が2週間の火傷を負った。
この小包は円筒型をしていて、中をひらくとボール紙製の短刀のようなものが出てきた。
この短刀のサヤの内部には赤リンが塗ってあり、刃にあたる部分には過塩素酸と硫黄が塗ってあった。紙の短刀をサヤから引き抜くと摩擦によって燃え上がるという、マッチのような仕組みになっていた。
短刀には「K」、サヤ部分には「草加次郎」、包み紙には「祝」「呪」という文字が書かれてあった。
これが、この後10ヶ月にもわたって人々を恐怖に陥れた爆弾魔・草加次郎事件の発端となる事件だった。

11月13日 「六本木・ホステス宅」
港区六本木に住むホステス(当時41歳)のもとに後援事務所と同じ円筒型小包爆弾が届くが、怪我はなかった。

11月20日 有楽町「ニュー東宝劇場」
観客の1人が3階ロビーのソファにあった円筒型のボール箱を触ったところ、箱が突然爆発。1週間の火傷を負う。
このボール箱は乾電池と火薬が仕組んであり、立てると同時に電池が接点に接触し、火薬に電流が通じて爆発する仕組みになっていた。

11月26日 「日比谷劇場」
洗面所にボール箱が放置してあり、清掃員の女性(当時47歳)が掃除中にうっかり床に落とし、爆発。
怪我人はなかった。爆発物から指紋が検出される。

11月29日 「世田谷・電話ボックス」
世田谷区の公衆電話ボックスで、会社員が中に放置してあった「石川啄木詩歌集」のケースから本を引き出そうとしたところ、いきなり爆発。5日の火傷を負った。
これは本の表紙をくりぬいて、ニクロム線を配線した電池3個と花火の火薬がつめられていて、ケースから本を抜くと金属片が乾電池に接触して火薬が爆発するというものだった。本から親指の指紋が発見される。

12月12日 「浅草寺」
浅草寺境内の銀杏の切り株の上にエラリー・クイーンの推理小説「犯罪カレンダー」が置かれてあり、これを拾った人が1週間の火傷を負った。

爆弾から銃弾へ

翌年春、上野公園でおでんの屋台を開いていた男性(当時27歳)が、突然後ろからピストルの弾丸を撃ちこまれ重傷を負った。
おでん屋銃撃は露天商同士の縄張り争いによるものだと捜査されていたところ、管轄の上野署に草加次郎から手紙が届く。中には手製のピストルの弾丸が入っていた。
草加次郎が「自分の犯行だ。見当違いの捜査はやめろ」というアピールをしたのではないかと見られている。

女優脅迫事件

8月30日、渋谷区の女優宅で、草加次郎名の2通の脅迫状が発見された。
1通目の消印は5月14日、2通目は5月23日に投函。2通ともおでん屋に撃ちこんだものと同じ弾丸が入っていた。
通報を受けた警視庁捜査四課が同宅で未整理のファンレターを調べた結果、さらにもう2通、計4通の脅迫状が見つかった。

1通目の脅迫状。
五月十八日午後七時、上野駅正面横の喫茶店に現金百万円をあなたのお父さんが持ってこい。七時二十分に電話する。あなたの呼び名は田中。草加次郎

2通目の脅迫状。
午後七時十分上野発青森行急行十和田に乗ること。進行方向に向って左のデッキに乗り、外を見ること。青(緑)の懐中電燈の点灯する所に現金百万円を投下すること、8時までに完予。草加次郎

3通目の脅迫状では「投下しないと殺す」と赤いインクで書かれており、「十和田」の乗車指定日を「七月二十五日」に変更していた。
この脅迫状が届いた後、6人の本部員を「十和田」に乗せ、現金を用意。沿線一帯に289人を張り込ませ、追跡車両や投光器も準備したが犯人は姿を見せなかった。

地下鉄爆破事件

1963年9月5日午後8時14分頃、地下鉄銀座線京橋駅に停車中の車内で手製の時限爆弾が爆発、乗客10人が負傷するという事件が起こった。
爆弾は時計じかけになっており、針が動いて予定の時刻にくれば爆発するようになっていた。
時計の裏ぶたには「次は十日」と書かれていた。

この事件以後、警察庁では大捜査網を敷くが、彼の犯行はなぜかピタリと止まった。

「草加次郎」とは誰だ?

草加次郎とは一体どんな人物だったのだろうか。各メディアは挙って草加次郎の犯人像推理を試みた。
「年齢15~30歳、ガンマニアか機械いじりの好きな意外に明るいタイプの性格。文学青年」「若くて社会に不満を持っている。ビジネスマンではない。受験生か、失業中の者。ガンマニアで、科学的な知識がある」「犯人が突然プツリと消えたのは、死んでしまったからではないか」「草加次郎というネーミングは若者じゃない。若者なら、なんとかキッドとかつけそうなもんだ」

事件は様々な憶測を呼び、また「草加次郎」を名乗る模倣犯も登場したが、「草加次郎」事件は1978年9月5日、時効を迎えた。