1968年から1974年にかけてのサンフランシスコは最悪の時代だった。

1968年12月20日
サンフランシスコで2人の若者が襲われた、男性は重傷、女性は遺体で発見された。

1969年7月5日
男がヴァレホ警察に電話をして2件の殺人を告白し、それ以前の殺人も自分のものだと言った。
警察は電話をかけてきた男の指示した場所で新たなカップルの犠牲者を発見したが、男性は生きていた。

1969年9月
ナパ警察は電話を受け、新たなカップルの犠牲者を発見。男性は生き残る。

1969年10月
タクシーの運転手が射殺され、男のシャツの切れ端が地元の新聞社に送られてきた。

1974年
サンフランシスコ警察へすでに37人を殺害したこと、新聞でもっと大きく取り扱わないと「何かすさまじいこと」をやるとメッセージされた2通の手紙が届いた。

2009年
「真犯人は私の父」とD・P(カリフォルニア州南部在住の女性)が名乗り出た。
父親は1983年に癌のため死去したとしている。ただしD・Pはジョン・F・ケネディの非嫡出子と自称したこともあり、この申し立てはあまり真剣に受け取られていない。 

手紙の差出人はゾディアック(黄道十二宮の意、一般的には“星座”)と名乗る人物。
1968年から1974年のサンフランシスコで警察が確認できた被害者だけでも5名。
現在も犯人不明のまま、事件は解決されていない。