英国人講師を殺害したあげく逮捕直前に逃亡し、その後96日間逃亡し続けた指名手配犯。

2007年3月26日、英会話講師をしていたリンゼイ・アン・ホーカーさんが行方不明になる。

リンゼイさん宅を警察が捜索したところ、犯人である市橋達也(いちはしたつや)30歳の電話番号とメールアドレスのメモを見つける。

同日9時40分頃、警察は千葉県市川市の市橋のマンションに到着。捜査員が市橋宅へ入ろうとすると、市橋は非常階段を下り、地下鉄東西線行徳駅方面へ逃走するのであった。

警察は逃走した市橋の行方を追ったが、取り逃がすという失態を犯してしまう。

逃走した市橋は、近隣の住宅脇に潜み、一旦捜査員に羽交い絞め絞めにされるが、捜査員の手を振り切り再び逃走する。

その後、市橋宅のベランダにある浴槽の中にリンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体が発見される。

ここから、市橋の96日間に及ぶ逃亡生活が始まった。

警察の手を振り切った市橋は上着と靴下を紛失し、ゴミ捨て場からサンダルを奪い逃走を開始した。

この時の所持金は約5万円であった。市橋は電車を乗り継ぎ、「このままだと身元が割れているため、直ぐ逮捕される」と思い、東京大学医学部付属病院のトイレでホクロをカッターで切り落とす。

その後、市橋は青森へ移動する。青森駅前公園で1週間ほど野宿をする。

「青森では仕事がない」と感じた市橋は、大阪の職業安定所を訪れる。

市橋はさらに移動し、四国へ渡りお遍路を開始する。お遍路の途中で、自分の指名手配の写真が貼られていることに危機感を感じた市橋は、逃亡先となる沖縄のオーハ島へ渡るのであった。

このように行く先々を転々としていた市橋を警察は掴むことができなかった。

ポスター3万枚、防犯カメラの映像も公開したが有力な情報を得ることができなかったのである。

この間、自殺説やゲイバー潜伏説などの怪情報だけが乱れ飛ぶようになる。

市橋の逮捕のきっかけとなったのは、名古屋市内の整形外科医院が患者のカルテを整理していたところ、市橋の指名手配写真と一致するホクロの除去をしたことに気づき、警察に通報したからである。

その後、大阪府茨木市の建設会社から市橋が住み込みで働いていたという連絡が入る。

2009年11月10日、大阪南港フェリーターミナルで身柄を確保される。

市橋は医学部受験に失敗し、コンプレックスを抱えていたといわれる。大学卒業後も、親の仕送りを頼りにした生活を送っていた。

また、外国人の女性のストーカー行為も頻繁に行っていたという。

市橋は逮捕後数日間は絶食をしていたが、その後食事を摂り始め具体的な供述をし始めたという。

初公判は2011年7月4日。起訴状の公訴事実は、殺人罪、強姦致死罪、死体遺棄罪であった。

2011年7月21日、千葉地裁で検察側の求刑通り無期懲役が言い渡された。