重軽傷者5500人を出したサリンによる無差別テロ事件である。

1995年3月20日、午前8時頃地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線で神経ガスのサリンが撒かれた。

ガスを吸いこんだ人々が次々と倒れ、13人が死亡、負傷者5500人以上を出した最悪のテロ事件となった。

この事件が起きる頃、宗教団体であるオウム真理教への警察の強制捜査が想定されていた。

オウムには、拉致や殺人事件の容疑があり、それ以外にも教団内部に監禁されている人がいると予想され、警察は強制捜査に踏み切ろうとしていたのである。

教祖である麻原彰晃は、警察の捜査の目をそらすため教団の部下達に地下鉄にサリンを撒くことを実行させたのである。

事件から2日後の3月22日、警察は全国の教団施設計25箇所で家宅捜査を実施した。

家宅捜査の結果、自動小銃や、軍用ヘリ、更にはサリンの製造道具などが発見された。

オウムは犯行を否定したが、別件で逮捕された実行役の林郁夫が犯行を認めた。

5月16日、教団本部内に隠れていた教祖の麻原彰晃が逮捕された。

その後も、全国各地に逃亡していた実行犯や運転手役の教団員が次々と逮捕されていった。

麻原は高学歴の者や医者などに目をつけ、世紀末における人類滅亡などと恐怖感を煽り、マインドコントールを行い、克服するには修行が必要だと教団へ勧誘していった。

裁判では、麻原は意味不明な発言を連発し裁判の進行を妨げることが度々あった。

全く反省を顧みない行動は、この事件の被害者の家族からの反感を買った。

教祖の麻原は死刑が確定。他の実行犯役も死刑の判決を受けている。