未解決事件|世界不思議事件|凶悪事件まとめ


カテゴリ: 未解決事件

19世紀の未解決事件と聞いて、誰もが真っ先に思いつくのは、何と言っても切り裂きジャックによる連続猟奇殺人事件であろう。

切り裂きジャックは1888年にイギリスを恐怖のどん底に陥れた正体不明の怪人である。

この正体不明の犯人は、1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラにしたが、逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされており、問題の犯行予告も保存されている。
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リジー・アンドリュー・ボーデンは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州フォールリバーで1892年8月4日に発生した、実父と継母の斧による惨殺事件の中心人物となったニューイングランドの未婚女性である。

事件とその後の裁判や過熱報道はよく知られており、アメリカの大衆文化や犯罪学に大きな影響を与えた。

裁判では無罪となったが、真犯人は見つかっておらず、彼女は有名なアメリカの民間伝承となっている。

1892年8月4日の朝、父アンドリュー・ジャクソン・ボーデンと継母アビー・ボーデンは自宅で殺害された。
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1935年から1938年の間にクリーブランド周辺で12人が惨殺された。

身元が判明している犠牲者は第2、第3、そして第8のみで、これらの例外を除き犠牲者の身元はいまもって不明のままである。

当時、世界恐慌はいまだおさまらず、クリーブランドでもクリーブランド・フラッツと呼ばれたスラムが発生、生まれも育ちも定かでない下層民が群れをなして流れ込んでいた。社会的ネットワークから切り捨てられた彼らは、残虐極まりない犯行に対してもほぼ無力であった。

【犯人も、被害者も不明】の続きを読む

日本と中国の間には、様々な問題が横たわっている。

歴史認識の相違は、現代においても健在だが、かつては今の比ではない苛烈な対立を生んでいた。

1939年6月10日。中国の南京総領事館で、日本の清水政務次官の歓迎祝賀会が行われていた。

この祝賀会には清水政務次官の他にも、日本軍の高官や、中国維新政府の要人なども招かれていたという。

そしてこの祝賀会で、今の日本と中国の水面下の対立を決定付ける事件が発生した。
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ユナイテッド航空機チェスタートン爆破事件は、アメリカの民間航空史上でも最初の航空機爆破事件であり、いまだに未解決の事件のひとつ。

1933年10月10日。当時はまだ珍しい、大陸横断便として運用されていた、ユナイテッド航空所有のボーイング247は、ニュージャージー州からカリフォルニアのオークランドに向けて飛行していた。

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1800年代、アメリカ・アーカンソー州で、1人の有能な弁護士が誕生した。

彼の名はトマス・ハインドマン。

後にアーカンソー州の下院議員にも選出され、南北戦争にも出征して武功を挙げた将軍として知られる人物である。

トマスは、戦争の直前までミシシッピ州で議員として活躍していたが、南北戦争が始まると、出身地のアーカンソー州がアメリカを脱退したために議員を辞職している。
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1929年2月14日。俗に血のバレンタインとも、聖バレンタインデーの虐殺とも言われることになるギャング同士の抗争が、シカゴで発生した。

この事件を手引きしていた人物は、今もって断定されていないが、一説にはアル・カポネが有力視されているという。

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