未解決事件|世界不思議事件|凶悪事件まとめ


カテゴリ: 殺人鬼

アメリカには、第二次世界大戦前から1人の爆弾魔に悩まされてきたという歴史がある。

その名は、ジョージ・メテスキー。通称マッド・ボンバーだ。

事の発端は、1940年11月16日。

ニューヨークにある、コンソリディッド・エジソン社に稚拙な爆弾が届けられたことから始まった。

【マッド・ボンバー】の続きを読む

チャールズ・ハッチャーは、どうしようもない酒乱の両親に育てられた男である。

早々にクスリを覚え、犯罪に手を染めては収監、釈放を繰り返す日々を送っていた。

そんなある日、彼は獄中ではじめて殺人を犯した。

1961年7月2日のことである。

被害者は同じ囚人であった。

【最悪な裁定】の続きを読む

1860年、イギリスのウィルトシャー州にケント一家は住んでいた。

この一家の特徴は2つ。

1つはとにかく家族が多いということと、もう1つは子供達の母親が数人いるということである。

コンスタンス・ケントは、父親であるサミュエルの元妻の産んだ子供であった。

この年、すでに16歳を迎えていたコンスタンスは、自分のこの境遇を嘆いていたという。

【腹違いの確執】の続きを読む

日々イカれた常連が集まるこの店。店主ロバート・バーデラは、とびきりの変質者だった。

ロバートの趣味はセックス。

しかし、殺人鬼名簿に登場する連中は普通のセックスでは満足など出来ない。

彼の嗜好は同性愛に限られた。彼は、芝居がかった同性愛セックスに傾倒した。

【オカルト用具と様々な動物の剥製を取り扱う、怪しい店「ビザールバザール」】の続きを読む

銃社会の国、アメリカ。

時として、その銃による痛ましい事件が発生する。

2002年に、23日間のうちに13人を狙撃し、そのうち10人を射殺するという何者かによるライフル銃撃事件が発生した。

日本ではあまり報道されなかった事件だが、その詳細はなんとも身の毛のよだつようなものだった。

【ジョンたちの犯行】の続きを読む

1922年の3月6日。ロンドンのホテルでオリーブという娼婦を買った男が、掃除に入ってきた女性を遮るように「彼女はまだ寝てるから、掃除は後にしてくれ」と申し出た。

そして、ポケットからチップを渡してきた。

女性は「へえ、こりゃどうも」と嬉しそうにこれを受け取ると、そそくさと退室したという。

しばらくしてこの女性が件の部屋に戻ると、既に男性の姿はない。それに、オリーブの姿もない。

【キチ○イ少佐】の続きを読む

シルベストル・マツーシュカは、ハンガリーで育った。

若い時分に、ちょうど第一次世界大戦が勃発すると、彼はこれに従軍することにした。

彼に与えられていた任務は主に破壊工作で、特に列車の脱線にかけては右に出るものはいなかった。

その功績は輝かしいもので、再三に渡って敵の物資搬入を阻止してきた。

これにより、彼は勲章まで授与している。

【脱線屋】の続きを読む

1949年8月28日。イギリス・ランカシャー州ローテンストールの道端に、大きな麻袋が落ちているのを通りがかりの人物が目にした。

「おお、なにが入っているんだろうか」と期待してこれを開けてみてびっくり。老婆が「くの字」になって押し込まれていたのである。

当然、とっくに死亡していたこの老婆は、頭部に殴られたような跡が残っていた。

老婆の身元は、すぐに判明した。

【男装の殺人者】の続きを読む

1994年4月、スペイン・マドリードにある精神病院から2人の男が脱走した。

どちらも、シャバに出すには問題のある者である。

必死の捜索が行われることとなった。

逃げ出したのはフランシスコ・ガルシア・エスカレーロとヴィクトル・ルイス・クリアド。

2日後、クリアドは発見された。しかし彼は既に死んでしまっていた。

【自殺を図った殺人鬼】の続きを読む

死刑反対論者が、賛成派になるほどの残忍な殺人を行った者がいる。

ローレンス・ビッテイカーとロイ・ノリスの二人は、そもそも刑務所で知り合った、残忍で凶暴な連中だった。

出所後に落ち合った二人は、マーダー・マックと名付けたバンに乗り、各地で非道の限りを尽くした。

中でも有名なのは、拉致した少女に執拗な拷問を加える様子を録音し、彼女たちにその様子を実況させたという恐るべき行為だ。

【死刑しかない】の続きを読む

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