未解決事件|世界不思議事件|凶悪事件まとめ


カテゴリ: 殺人鬼

アメリカでは、逃亡中の凶悪犯の追跡経過を報道し、視聴者に目撃情報を求める特別番組が時折放映されている。

日本のそれと違うのは、かなり信憑性の高い証言に基づいた、極めてドキュメンタリー性の高い番組内容になっているということだ。

事実、多くの凶悪な逃亡犯が、この番組に取り上げられた後に逮捕されている。

1971年、長い間親の財産に寄生して生きてきたニートのジョン・リストは、母親の預金全てを使い果たしてしまった。

【親の脛をかじり尽くす】の続きを読む

チャールズ・ホイットマンは、優秀な男だった。

テキサス大学に在学中に知り合った女性と結婚し、人並みの幸せを享受する、好青年だった。

そんなチャールズが、ある日を境に原因不明の頭痛に悩まされるようになる。

最初は気にしない程度だったその痛みは日に日に悪化し、いつしか彼は凶暴な男になっていた。

もちろん自我はあるのだが、あまりの激痛に正常な思考も難しくなっていたのだ。

【狂わされた男】の続きを読む

重火器に目が無い男にとって、従軍という経験は、趣味と実益を兼ねた素晴らしいものである。

ジュリアン・ナイトもまた、無類のガンマニアであり、趣味で収集していたライフルやショットガンを毎日のように磨き続けていた。

陸軍士官学校を出ていたジュリアンには、変わった趣味があった。

彼は、集めた武器や装備を身に纏い、夜な夜な外出して実戦のイメージトレーニングを積んでいたのだった。

【茂みの中から】の続きを読む

1932年から1934年までの間に、アメリカ西部で銀行強盗などに明け暮れ、保安官と度重なる銃撃戦を繰り広げていたボニーとクライド。

彼らのその犯行の様子は新聞・ラジオなどで盛んに報道され、世間に「ボニー&クライド」として広く認知されることとなる。

ただの強盗に過ぎない彼らが有名になったのにはわけがあった。

犯行に用いている逃走車両は「フォードV8」。当時としては異常なまでの加速性を誇る車であった。

【俺たちに明日はない】の続きを読む

アメリカで、一見温厚そうなカップルが、次々に10代の少女を連れ去るという誘拐事件が相次いだ。

警察の懸命の捜査の末に浮上したカップルの名前が、ジェラルド・ギャリコとチャーリーン・ウイリアムズであった。

ただちに二人を拘束し、別々に事情聴取してみると、次々に残忍な犯行の数々が明るみになった。

【倒錯した性】の続きを読む

セヴリン・クロソウスキーは、1903年に処刑された残忍な殺人鬼である。

彼の手法は遅々として、確実。死にゆく過程をじっくりと観察できる毒殺であった。

ポーランド出身の彼は、イギリスで生活するようになった際にジョージ・チャップマンと名乗るようになった。

彼はそこでパブを経営し、慎ましやかに暮らしていたのだが、ふとしたきっかけで毒に興味を抱いてしまう。

【毒殺紳士チャップマン】の続きを読む

ロバート・トンプソンとジョン・ヴェナベルズは退屈していた。

二人は10歳になったばかりの、どこにでもいる普通の子どもであった。

そんな二人の前に、当時2歳になったばかりの幼児が通りかかった。

「おいジョン、面白い遊びを考えたぞ。あの子を殺そう」

何ということだろうか。二人はそのまま立ち上がり幼児を拉致。

人気のない墓地に連れ出して、そこで殴る蹴るの暴行をくわえたのである。

【面白い遊び】の続きを読む

1955年。クリスタ・レーマンは未亡人となった。

というのも、自らの夫を殺害したからだ。彼女は葬式が好きだった。

1956年。今度は義父母夫婦を毒殺した。

大好きな葬式に、なかなか行けなかったからだ。

1957年。今度は友人を毒殺してみた。

【葬式が好きな毒婦】の続きを読む

リチャード・ファーリーは、4年もの間に、ただ仕事先で見かけただけの女性を執拗に追い回した変質者である。

彼は、214通ものラブレターを彼女に送りつけ、身の危険を感じた彼女が何度引っ越しても、その都度居場所を突き止めて交際を迫った。

日に日に迫る身の危険に、彼女はとうとう裁判を起こし、法的に接触してはならないという判決をリチャードに下した。

だが、こんな文言などリチャードにはなんの効力もなかった。

【どこまでも追いかける】の続きを読む

トーマス・グリフェス・ウェインライト。

豊富な教養を持ち、文学はもとより絵画にも造詣の深かった男である。

だが、彼には途方もない財産があったにも関わらず、それら全てを若いうちに失ってしまうほど、ギャンブルに没頭する癖があった。

博打だけではない。

酒、女、演劇鑑賞など、とにかく遊びという遊びに目がない堕落者でもあった。

1829年。彼は長年同居してきた自分の祖父をストリキニーネを使って毒殺し、保険金と遺産を手にしたのである。

【許しがたき文学者】の続きを読む

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